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毒親サバイバーの話

※毒親についての描写があります。フラッシュバックにご注意ください。

 

 

 

多分うすうす察している人もいると思うけれど、私は虐待サバイバーだ。毒親サバイバーともいえる。

 

個人的には虐待をする人を毒親と言い換えるこの流れが好きではないのだけど、タイトルには「毒親」の方を採用した。自分がされていたことを「虐待」と認めることに抵抗がある人にも届くようにと思った。

 

障害に関する差別発言、無理解、きょうだい間の差別、人格否定、心理的虐待のフルコースだった。私が人を人と思うような心優しい子どもだったら、きっともうこの世にいないだろう。私は、私の発達障害特性による共感力の欠如とかそういうものに、救われて、今生きている。

 

ただ、積極的に復讐をしようとも思わない。何かすごくどうでもいいからだ。もらえるものはもらって、こっちからは基本的に放っておく。そういう関係性だ。これは、二人が老いてもそうだろう。つまり、娘に関心を寄せてもらえていない老夫婦の出来上がりだ。

 

私は無関心が人を殺しうることをよく知っている。だから、火曜サスペンスみたいな復讐はいいや。手を汚さずとも、無関心で人は死ぬのだから。

 

こういう心境になったのは、去年、分籍をしたからだと思う。分籍しても、親との縁が切れるわけでは全然なくて、あらゆるところで、「気休め」と言われたけれど、気休め一つ、あるとないとでは大違いだ。

 

ちなみに、両親は分籍の事実を知らない。知れたら驚くだろうが、「気休め一つ」と一蹴するか、本音を言うか、それとも別の理由を言ってあげるかは、そのときの気分次第だ。

 

今私には帰る家がある。両親の待つ家ではなく、私が私のために維持する、私の家。そのことも、私を強くしている。私の城は、私だけのもので、誰にも侵されない。

 

私の、親に対する感情が凪いでいるわけを説明したのは、何となく私の考え方を把握してもらうためだ。そして、毒親による養育や虐待の被害者に伝えたい大切なことがある。

 

それは、自分が受けたものが被害であるかもしれないと少しでも疑ったなら、どんな手を使ってでも、親と物理的、精神的距離を取ることだ。遠くに住む、やり取りはしない、もしくは最小限。自分が負担になると思うことは、絶対しない。

 

生活保護制度やシェルターを利用して、何としてでも、距離を取るのだ。

 

「そこまですることかな」「大げさな」と思うかもしれない。でも、ものは試しと踏み出してみてほしい。

 

距離を取って、ある程度の時間が経つと、気づくことがある、されて嫌だったことがなぜ嫌だったのか、何が嫌だったのか、いろいろなことが見えてくるだろう。もちろん一人でそんなことを考えるのはつらいということもあるので、精神科や心療内科への通院やカウンセリングを通して、やっていくのも一つの手だ。

 

そうしたら、自分のなかで、親との今後の関係について答えが出てくる。その答えを、大切にしてほしい。

 

距離を取るのは、自分の人生を自分のものにするために、必要なプロセスだ。そこを経て、気づくことが多くある。