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私には、サボる権利がなかった。

サボる権利なんて、誰も持っていないじゃないかと思われるかもしれない。より正確に言うならば、特に私にはそれがなかった。


例えば、教室の後ろの席で手紙をやり取りしたり、漫画を回し読みしたりすることは、私にとってはフィクションの世界だった。最前列で常に先生の目をひく私には、そういったことが起こる余地はなかった。


その上、大学でも出席回数ギリギリまでサボるということは、なかなかできなかった。(体調が悪くて、ギリギリだったものもあるが。)教授達は、私のために、拡大した資料をはじめとした配慮を用意してくれていた。


だからこそ、サボりがたかった。


私は、いつでも人目をひく。いつでも、配慮の必要な人として、覚えられている。気にかけられていることが、ときに重荷になった。


「ふつう」の人達に紛れてしまえないことが、言い表しようのない不安を作った。


とある大学院の研究室を見学に行ったときの、「うちは9時にいなかったら、誰にでも電話をかけて、具合が悪いのかと聞く」という言葉を思い出す。


干渉が過ぎると感じる人もいそうなこのシステムが、研究室のメンバーすべてに適用されることは、私を安心させた。


それが、ここではスタンダードで、私がアルビノだろうがそうじゃなかろうが、9時に研究室にいなければ、身を案じた電話がかかってくる。


アルビノだからではなく、誰しもがサボれないのであれば、その方がいいかもしれないな、なんて。


最近生存確認されたいからそう思うのかもしれない。