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味の上書き。

食べることが好きな子どもだった。飲食店でアルバイトをしていた頃も、私のことを「おいしそうに食べるよね」と評した人が何人もいた。実際に、食べることは好きだった。作ることには全然興味の持てない大人になってしまったけれど。

 

そんな私だけど、今、何かを食べるのがすごく怖い。

 

アパートメントでの当番ノートでも少し書いたけれど、大好きな祖父母が老人ホームに入った。祖父母は二人とも料理をする人で、私は二人の料理と、母の料理によって育ってきた。初孫ということもあって、一番かわいがってもらった自覚もある。

 

やむを得ず在宅介護をしている人もいるだろう状況で、家族の意見が一致し、本人達を説得し、よい老人ホームに入居できたことは喜ばしい。かなり運がよかった。老人ホームに入るのは悪いことじゃない。プロの介護を受けられるのだから、喜ぶべきだ。

 

「優に寿司を握ってやれるのは、これが最後になるかもしれないからな」

そんなことを言って、寿司桶いっぱいにお寿司を握ってくれた祖父は、もう八十を過ぎている。終活なんて言葉もあるけど、本当に、人間はどう死ぬかを考えておかなきゃいけない。

 

老人ホームに入ったからって死に近づくわけじゃないけど、嫌でも終わりを意識する。当たり前だけど、よい終わりを迎えるためにと選んだ老人ホームなので。

 

祖父母が作ってくれた料理と同じものを意図的に避けて、生活している自分に気づいた。寿司、ポテトサラダ、ザンギ、魚の煮つけ、鰻……。思い出の品を食べてしまったら、その度に思い出が遠ざかる気がしたのだ。

 

子どもじみた発想なのはわかっている。味が上書きされてしまって、私はその味を思い出せなくなるんじゃないかって、そんな不安に苛まれるのだ。祖父母の作るものの味を忘れたら、私は何を食べるのを楽しみに生きていくんだろう。